Jekyll&&Hyde

昨日は晴れ、今日は朝。

チョコレートの健康効果!傷が治る、血圧低下、整腸作用

【本当に?】

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チョコレートには発酵することで抗酸化作用のある高分子ポリフェノールができます。
チョコレートの抗酸化作用が活性酸素を抑えて傷の治りを早くし、血管を健康に保って血圧を下げてくれます。



■チョコレートを食べると傷が早く治る

傷の治りが悪いときにチョコレートを食べたり飲んだりすると、傷の治りが良くなるといわれています。
ある病院では、チョコレートを溶いて液体にしたものを栄養剤と一緒に投与することで、内臓などの傷の治りが早くなる結果も出ています。
全国20の病院で、実際にチョコレートが患者さんへの栄養補給に使われているそうです。
患者さんによっては、傷が治るのに通常1週間かかるところが4日で治ったという人もいます。

■チョコレートの健康効果

・傷が治る
・血圧低下
・整腸作用
・肥満抑制
・虫歯予防
・癌予防
認知症予防
・抗うつ
コレステロール抑制
・ピロリ菌撃退
・抗インフルエンザ

チョコレートには多くの健康効果がありますが、中でも傷が治る、血圧低下、整腸作用の効果は別格で、医療現場で使われていたり、人での健康効果が広く認められています。
チョコレートの血圧低下の健康効果は、EUの食品安全機関が血圧抑制効果を正式に認めています。

■チョコレートは発酵食品

実はチョコレートは発酵食品でもあります。
チョコレートの健康成分として注目されているものは発酵によって生まれています。
チョコレートの原料であるカカオは、カカオの実から取り出した後に1週間ほど置いて発酵させます。
すると発酵してネバっとしたものになります。
そしてそれを干した後、カカオ豆を焙煎(ばいせん)します。
するとチョコレートの原料になります。



■チョコレートの抗酸化作用

生のカカオの果肉や種には、たくさんのタンパク質・糖・ポリフェノールが含まれています。
発酵をすすめる微生物により、糖やタンパク質が分解され香りの成分ができます。
またポリフェノールに働きかけて、独特のカカオポリフェノールの成分の高分子ポリフェノールを作ります。
高分子ポリフェノールには抗酸化作用があります。
この抗酸化作用が活性酸素を抑えて傷の治りを早くし、血管を健康に保って血圧を下げてくれます。
ホワイトチョコはカカオバターという脂肪分だけを取り出して固めたものになります。
そのため茶色い色のチョコレートの方が、高分子ポリフェノールとしての効果が期待できます。

■チョコレートとニキビ

チョコレートを食べるとニキビができるといわれていますが、アメリカで様々な年齢の男女で実験したところ、1ヶ月毎日1枚の板チョコレートを食べ続けてもニキビは増えなかったという実験結果があります。
チョコレートとニキビは関係ないという結論がでています。

■チョコレートと鼻血

チョコレートのせいで鼻の毛細血管が突き破られるとは、医学的に考えられないとされています。

■美味しい手作りチョコレートの作り方

板チョコレートを砕いたものをボウルに入れます。
ひとかけら分だけ粉状になるくらい細かく刻んでおきます。
ドライヤーで30秒から1分ほどチョコレートを加熱します。
チョコレートの角が溶け始めたら、空気が入らないようにスプーンでつぶします。
ここで細かく刻んだチョコレートをパラパラと加え混ぜます。
厚さ3ミリぐらいまで薄く広げて10分ほど置けば出来上がりです。

誰でも儲かるお金の話 データ編(7)-人間は歳を取る-

 物価の話も6回目になり、だんだん佳境に入ってきました。普通、政府などが発表する「消費者物価指数」は単純な商品の値段の変化で、だいたい1年に4.3%ずつ上がります。経済学ではさらに設備投資や公共投資なども含めた経済全体の物価に「GDPデフレーター」という難しい名前が使われてます。

 もともと学問は国民の為にあるのですから、わかりやすい名前を使えば良いのですが、昔から専門の力を儲けに結びつけるために素人にはできるだけわかりにくい用語を使うというのが一つの手法になっています。これもその一例です。

 ともかく、消費者物価が1年に4.3%ずつ上がっていくということを、少し生活の実感でわかる数字に直しますと、10年で1.5倍、40年で5倍程度ということです。

 だから、現在のようにほとんど利子の付かない銀行に預金しておくと、今の100万円は10年後に67万円の価値しかなくなり、40年後にはたった20万円の価値にまで減少するということです。

 しかし、商品というのは人間を相手にしています。そして人間の「幸福感」というのは「周囲との比較」で決まります。みんなが木造の長屋で八畳間に家族全員という生活が標準なら人間はそれでも幸福ですが、現在のように3LDKに住み、クーラー、自動車も持っているというのが標準になると、木造の長屋で井戸の水を汲むのでは、みじめになります。

 つまり、もし物価の上がり方を人間の為に示すものなら、平均的な生活レベルの向上も含めておかなければなりません。これを私は「血の通った物価」と呼びます。前々回に示しましたように、生活レベルの向上を小学校の先生の初任給という尺度で見ますと、1年に3.3%上がることが分かります。

 「血の通っていない物価」は一年に4.3%で上がり、生活レベルの方が1年間に3.3%ずつ上がるのですから、合計して一年に7.6%ずつ上がっていくと考えた方が良いのです。

 ということは、ほとんど利子の付かない銀行にお金を預けておくと、今年の100万円は10年後には50万円になり、40年後には6万円の価値になるということを意味しています。私は常々、「銀行の利子では足りない」と言ってきました。真面目な方が一所懸命、預金されているのを見て、何となく心配になったからです。

 せっかく、一所懸命、銀行にお金を預けて老後に備えても、100万円が6万円に、1000万円が60万円になってしまいますから、そのことをしっかりと頭に入れておいた方が良いと思うからです。

 ところで、若い人にはもう一つ、考えておかなければならないことがあります。それは「人間は歳を取り、それと共に生活が変わる」ということです。若いうちは夢もあるし、貧乏生活に耐えて将来の楽しみに備えるということができます。生命力もその支えとなっているでしょう。

 その人も30歳を超えて結婚し子供ができるようになると、まさか三畳一間で生きていくわけにはいきません。それなりの収入がないとみじめになります。また50歳にもなると子供が大学に入ったりするので学費もかかり、かなり大きな出費になります。つまり、現代の日本人は時間が経つと共にお金が必要になるということを意味しています。

 つまり日本では平均的な賃金が年齢と共に上がり、生活の質を保つような仕組みになっています。それを厚生労働省が「賃金構造基本統計調査」として2000年に発表していますので参考にしてみたいと思います。



 2000年の日本人の現金給与は20歳の時に20万円程度、50歳になると50万円ということですから、1年に一万円ずつ上がっている事になります。厳密にデータを取ると年率に直しておおよそ1年に2.3%ずつ上昇しています。単純な物価が4.3%、生活レベルが3.3%、そして年齢が2.3%の上昇ですから、合計すると9.9%、つまりほぼ10%になります。

 もし、Aさんが「人並みの生活」を望んで、若いうちから節約して銀行に預金したとし、Bさんは毎月、もらう給料を遊びに使ってしまうとします。誰でもAさんの方が「偉い」と思うでしょうが、現代の日本では「偉い」はずのAさんの方が「損」をするように出来ているのです。

 Aさんが毎年、100万円ずつ貯金して40年。それまでの蓄えを使って悠々とした老後を送ろうと楽しみにしていたとします。ところが自分が20歳の頃にやっとの思いで貯金した100万円は「2万円の価値」になってしまいます。それなら若い頃、100万円を使ってしまえば良かったと悔やむのではないか、と私は心配するのです。

 もちろん、だからといって私が浪費を勧めているわけではありません。やはり貯金をしておかないと自分が歳取った時に困ることになります。でも、「お金」、「現代の日本」、そして私たちの「生活と人生」は、まったくバラバラになっているので、このことを指摘して、自分の身を守るようにして欲しいと思います。

 社会制度が進歩し、自由に事業をする人に有利にお金が配られることによって最初の4.3%が決まります。また技術革新が進み、生活レベルが急激に上がるから2番目の3.3%が決定されます。そして年功序列型給与の中で徐々に生活が良くなる方が良いと日本人が考えるので最後の2.3%となります。

 それぞれそれほど悪いとは言えません。最初の4.3%があるからこそ日本社会は改善されて国際的な競争力を持っているし、もちろん技術革新も同じです。だから2番目の3.3%も我々は受け入れているのです。

 すなわち、社会が良くなり、技術が進み、歳と共に楽な生活になる、という我々の社会は同時に「お金を貯めておくと失う」ということにもつながっているのです。どちらを選択するかは日本人自身が決めることであり、そのためには正確な情報を国民に伝えて国民が選択するというのが正しい方法でしょう。

 また個人的には、社会が良くなったり技術が進んだりすることを止めることはできませんから、それを前提にして自分の財産をどのように守るかということをじっくり考える必要があるのです。

つづく

誰でも儲かるお金の話 番外編-なぜ、「理系」なのに「お金」のことを書くのか?-

 私は工学が専門で、物理や資源を研究しています。だから「お金」の話をすると「なぜ、理系の先生がお金の話をするのか?」と言われます。時には冷やかされたり、時には悪意に満ちた批判をされる時もあります。

 そこでなぜ、私が「お金」の話を書くのかという理由を簡単に書いておきたいと思います。

 かつて国には大蔵省という省がありました。明治以来、日本のお金を握っている・・・といっても、本当は庶民から徴収した税金を管理しているだけなのですが・・・ので、「俺は偉い」という気分になり、やりたい放題になりました。その結果、不祥事は起こるし、ついには「ノーパンしゃぶしゃぶ宴会」の接待を受けていたということが曝露され、解体されました。

 その大蔵省には「銀行局」と「証券局」がありました。建前としては銀行局が銀行行政を、証券局は証券行政を担当することになっていましたが、それは建前だけで、本当は「銀行局は銀行の利害を代表し、証券局は証券会社の利益を守る」ということに鎬(しのぎ)を削っていました。

 その一例が「役割分担」です。証券局があるので銀行が証券を扱うことは絶対に許されず、証券会社のお偉方は証券局と接近し、国際的にはまったく力の無いような株屋を演じ、とてつもなく高い手数料で儲けていたのです。

 どのぐらいの手数料だったか、細かいことは省略するとして、現在の約10倍でした。証券会社はお客さんが得をしようが損をしようが手数料だけで儲かる仕組みになっていて、営業も手数料も独占していたので、どんなにお客さんに迷惑をかけても関係が無かったのです。

 当時、四大証券と言われた野村、日興、山一、大和のうち、野村證券は大口の付き合いのある会社に、小口の庶民から集めたお金をつぎ込んで損失補填をしていました。日興も損失補填やら日興コーディアル証券事件を起こして社会的な避難を浴びています。山一の社長はテレビ会見で泣き、なんともみっともない姿をさらしたのです。

 銀行も例外ではありませんでした。長い間、独占に守られてお高くとまっていた銀行も再編され、まだ不十分ではありますが、少しずつ庶民側に寄ってきました。

 日本政府は国民主権なのですが、なぜ国民の為の政策を採らないのか?それには明治以来の深い日本の傷があるからです。そして手数料や業務独占ばかりではなく、あらゆる数字や表現をたくみに操って情報を操作し、未だに庶民からお金を巻き上げようとしています。

 その代表的な例が国債と年金です。国債を買い、年金を払った国民には預けたお金の3分の1しか返ってこない仕組みを作り上げているのです。でも情報が操作されているので国民はなかなか真実を知ることが出来ません。まずはそれが私がお金の本を書き始めた第一の理由です。

 第二の理由は、長く工学をやってきて「社会は自然とは違うのか?」という疑問が湧いてきたからです。私は15年ほど前から「自然に学ぶ、伝統に学ぶ」という活動を進めてきましたが、「自然」も「伝統」も、それまで私が対象としてきた「機械や材料」となんら違うことは無かったのです。

 それでは「人間社会」は自然と違うのか、「お金」は「自然」ではないのか?というのが次の私の疑問でした。幸い、私の研究室に社会的現象に興味のある学生が入り、社会を観測の対象として勉強を始めたのです。

 幸い、この分野には経済学・社会学・心理学というのが存在して手引きをしてくれました。それに工学系の手法を取り入れて整理をしてきたということです。そして、浮き上がってきたことは「事実とみんなが考えていることにずいぶん差がある」という驚きでした。

 自然科学はできるだけ真実を明らかにしてそれを発表するということが重要ですから、若干の間違いはありますが、ほぼ事実が表面に出ています。でも社会、特にお金は「みんなが自分が得をしよう」という下心があるので、事実が表面に出ていないのです。

 それが人間社会だ、だから面白いのだという考えもありますが、ここは一つ「自然科学と同じように遠慮無く事実を明らかにしてみよう」という気分になったのです。それと共に、これまでリサイクルなどを通じて「先生、それは言わないことです」と言われる経済学者の気持ちもわかってきました。

 「お金」については本も出版する予定ですが、特に「データ」についてホームページに書いていきたいと思っています。私の勉強を手伝ってくれた学生は今年の3月、大学院を卒業する予定です。

おわり

人生の鱗 其の二十三 ー向こうから来る幸福ー

 中世ヨーロッパの小話にこのようなものがある。
・・・あるとき研究熱心な若い僧侶が太陽を観察していると、太陽の表面になにやら黒い点が見える。そこでその若い僧侶は権威のある年取った僧侶のところに行ってこう言った。

 「先生。太陽を観測しますと黒い点が見えるのですが、あの黒い点はなんでしょうか?」

 これを聞いた僧侶は「ちょっと待ってくれ」と言って教会の中に入り、暫くして出てきて次のように言った。
アリストテレス書物を見たところ、太陽に黒い点があるということは書いていなかった。したがってその黒い点とやらは、君の目のシミだろう。」

 太陽の黒点を最初に発見したのはこの若い僧侶かも知れないが、そんな発見をも打ち消すだけの権威がアリストテレスにはあったのである。そのアリストテレス、実に1000年以上にわたって「真実」を決めてきた人、その人にもわからないことがあった。

 それは、
「無限、因果、矛盾」
だった。

 私たちが平穏で日常的な生活をしている時にはこの3つの疑問にはほとんどぶつからない。でも、「宇宙のはずれはどうなっているのだろうか?(無限)」「なぜ、私の郷里は名古屋なのだろうか?(因果)」「憎まれっ子が世にはばかるのは不平等だ(矛盾)」などと考える時、突然、アリストテレスの難問に遭遇する。

 あの頭脳明晰なアリストテレスが考えに考えてもわからないことがこの社会にはある。それは人間の脳の容積が1500ミリリットルしかないし、この世のことが人間の頭脳の容積に合わせて作られているわけでもない。だから、当然、人間が理解できないことがあるのだ。

 私は「人間には考えることのできる限界がある」という信念のもとに生きている。そしてその中でももっとも難解なものが「人生の目的」である。「人生の目的」について古今東西、偉人、学者、哲学、宗教、文学、そして最近ではテレビのコメンテーターまでが人生の目的について解説をしている。

 でも、今まで人生の目的について、もしかするとそれではないかと思われる答えを出したのは、お釈迦様、イエス・キリスト、そしてマホメットの3人だけである。

 だから、この難解な問題の答えが欲しければ、3人の教えを学べばそれがもっとも手っ取り早い。でも3人とも宗教の教祖なので、どうも宗教を信じるのは抵抗があるという人はどうすれば良いのだろうか?

 受験勉強に追われている高校生に「なんでそんなに頑張っているのですか?」と聞くと、「良い大学に入りたいから」と言うだろう。そして「良い大学に入れば大きな会社に勤めることができるから」と続く。大きな会社に入り、組織の中でどのような仕事が待っているかを考えている訳ではない。

 どんな仕事も生活も、よくよく考えてみると何か変わるわけではない。人間は呼吸し、食事を取り、睡眠し、そして働く。人は一日14時間ぐらいしか働けないし、能力が違うと言ってもそれほど違うわけではない。いくら松坂が速い球を投げるといってもせいぜい、素人の2倍である。

 働く時間が2倍、能力が2倍程度しか違わないから、4倍しか違わない。そしてお米にしてもテレビにしても、人が働いて作る。その作ったものを分け合うのだから、一番少ない収入の人と一番多い人の差は4倍以上離れてはいけない。

 つまり年収で250万円から1000万円の間に日本人の全員が入らなければならない。それでこそ「同胞」と呼ぶことができる。人間は巧みなシステムを作ったり、ズルをすれば多くを儲けることができる。でもそれは他人が働いた分をかすめ取る行為だから立派な魂が選択することではない。

 そうするとお釈迦様が繰り返し言っておられるように「人生は中庸」である。人生が中庸ということは「人生に目的は無い」ということでもある。ほどほどの生活こそ幸せを呼ぶ。それはすでにこの難問の一つの解答なのである。

 私はかなり若い頃から「目的」「目標」を置かないことにしている。目的や目標を置くと「中庸」だから何となく毎日に張り合いが無い。私の性格では何か頑張っている方が楽しい。だから本来は「目標」が要る。でも、目標を置くと矛盾が拡大する。

 そこで、私は「毎日を精一杯」という「やり方」に答えを求めた。毎日、精一杯やるが、その内容は問わない。強いて言えば「あまり自分の得になることはしない」ということだ。(「自分が損をすることはしない」ではないことに注意。普通と逆だからもう一度、読んで欲しい。)

 最近、2, 3人の人と仕事に出かけた。その仕事は私にとってほとんど「得」にはならない仕事だった。でも私は誠心誠意、頭を下げ、お願いした。その様子を見て同行した人はこう言った。
 「武田先生は珍しい人ですね。自分の得にならないのによく頭を下げられますね」

 自分の得になるように頑張ると収入が増えてしまう。そうすると満足も得られないし、不幸にもなる。でも、得にしようと考えずに毎日を精一杯送ると、自分は満足するし、私に依頼された人は喜ぶ。八方、丸く収まるのだ。

 この話をすると私の学生は、
「また、先生のDedicationか」
と、うんざりする。Dedicationとは「献身」という意味だが、仕事に家族に友人に、そして社会に献身すれば幸福は「向こうから来てくれる」。

おわり

環境よもやま話 その3 建築リサイクル法で破壊される日本の国土と農業

 ビルを壊した廃材や廃コンクリートをリサイクルしようということを提案したのは誰でしょうか。そして何の目的でそのようなことをやろうとしているのでしょうか。私はとても疑問に思うのです。

 コンクリートというのは、セメントと砂利、石を混ぜて作るもので、固まりますと原料とは別のものになります。だから、堅くなって壁や柱になるのです。

 しかし、60年も経つとコンクリートも状態が悪くなって建て替えることになります。その時にビルから出る大量の廃材を利用しようというのが建築リサイクル法なのです。確かに「言葉」では、可能なように思いますが、科学は言葉で言うことができるからといって、実際にできるものではありません。

 ビルを壊して生じたコンクリートの廃材は性能が悪いので、それを使って新しいビルを造っても地震で壊れるようなビルしかできないと簡単に言ってもいいでしょう。そして「地震でも壊れないようなビル」を「悪いコンクリート」で作ろうとすると壁の厚みをものすごく厚くする必要があり、環境に良いとはとても言えません。

 だから、廃コンクリートは行き先を失ってうろうろします。そして結局は「路盤材」という名前の「地面を覆うもの」として使われます。

 「路盤材」というと言葉の響きは良いのですが、簡単に言えば土の上のガレキです。日本はもともと国土の70%が森林で平野の面積はごくわずかです。その平野ですら住宅、道路、河川などがあり、畑に使えるところはそれほど多くはありません

 日本の農業は今、力がありませんから畑を守ることができません。建築リサイクル法の名のもとに日本の畑は少しずつつぶれていっています。このまま何十年も続けたらどういうことになるでしょうか。日本の畑は、全部、ビルの廃材で覆われることになるでしょう。そんなことが法律で決まっているのだからとても恐ろしいことです。

 現在でもすでに兆候がありますが数十年先には食糧危機が来るでしょう。その時に天候が急変するかも知れませんし、また石油が少なくなってくると肥料や農薬を使えませんから、食糧の生産量は激減します。

 またその際に日本が少子化が進んで日本の人口が3000万人から5000万人になっていれば、何とか食べることはできるかもしれませんが、1億人もいたら日本人の多くが餓死することは間違いありません。

 すでに石油が無いので機械でガレキを掘り返すこともできず、我々の子孫は私たちがやったことを心から恨むに違いないのです。「なんで建築リサイクル法なんかを作ったのか」と嘆くでしょう。

 建築リサイクル法を作った人達は、日本の将来の食糧など全く考えていません。ただ、新しいビルを建てたいだけのことなのです。しかし我々はそんなことをしていて良いのでしょうか。食料を確保すること。日本の子孫にすばらしい国土を受け継ぐこと。これこそ我々がやらなければいけないことです。

 コンクリートはそれほど毒物ではありませんので、海を埋め立てていくのが一番良いのです。海を埋め立てるということは環境破壊の最もひどい例と思われていますが、それは無計画に海を埋めるからです。

 実は、現在の日本の海はそれ以上に破壊されています。海岸に行きますと海草も魚も居ません。それは、陸の方がコンクリートで固められているので、本来、海に流れ込むはずの水や元素の循環がうまくいっていないからです。

 つまり海を直接埋め立てるよりも陸地を広くガレキで埋め立てた方が自然を破壊するということにまだ日本人は気が付いていないのです。

 食品リサイクル、紙のリサイクル、そして建築のリサイクル・・・たかがリサイクルかと思いますが、これを長く続けていくと日本は本当に破壊されてしまうでしょう。

 リサイクルを進めている人に、ぜひお願いしたいのですが、自分たちの利益や地位、メンツ、天下りなどを捨てて、日本の子孫のために一刻も早くリサイクルをやめて欲しいと私は願っています。

(おわり)