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Jekyll&&Hyde

昨日は晴れ、今日は朝。

アイヌ

Dr Jekyll and Mr Hyde

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびロシア・カムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた。母語アイヌ語。現在、日本とロシアに居住する。


1878年(明治11年)、
イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。
アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが[注 1]、生業の毛皮や海産物などをもって、現在のロシアのハバロフスク地方アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[1]。

1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下[2]、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。

アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない[注 2]。これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族(和人、シサム・シャモ[注 3])とアイヌとの交易量が増加した17世紀末から18世紀初めにかけてとされている。

アイヌの社会では、本来は「アイヌ」という言葉は行いの良い人にだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。

アイヌ語では、東を「メナシ」、住民や部族を「クル」と呼ぶことから、北海道東部に住したアイヌ部族は「メナシグル」と称し、同様に西部のアイヌは「シュムグル」(シュムは西を意味する)、千島のアイヌは「チュプカタウダシ」と呼ばれるなど出身部族で互いを呼びわけていた。

大和民族(和人)は、アイヌのことを「蝦夷」・「土人(土着人の意味)」と呼び、大和民族と混血したアイヌのことを「アイノ」(日本語の「アイノコ」の略語[3])と呼んでいた。

しばしばアイヌの民族呼称として用いられることもあるウタリの本来の意味は、アイヌ語で人民・親族・同胞・仲間であるが[4]、現在ではアイヌ人自身の民族の呼称としても用いられる[5]。

中世以降、大和民族(和人)はアイヌ蝦夷(えぞ)、北海道・樺太蝦夷地と称してきた[6]。

朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷」、あるいは「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」をアイヌと捉える向きもあったが、アイヌと古代の蝦夷との関連については未だに定説はなく、日本史学においては一応区別して考えられている。

東北の蝦夷(えみし)は和人により古代から征討の対象とされ(蝦夷征討)、鎌倉時代までには東北地方北端まで平定され和人と同化した。東北地方は弥生時代から稲作文化が流入していた一方、アイヌ語地名も散見され、古墳時代アイヌが寒冷化による東北地方に南下するなど、歴史的にも和人、アイヌの混交の地であったとも考えられている。一方で北海道、樺太室町時代に和人の入植が始まるまでは、阿倍比羅夫による征討の試みはあったものの中央政権からは化外の地と見なされていた。

また、北方の民族からはアイヌは骨嵬(クギ)などと呼ばれてきた。

アイヌの祖先は北海道在住の縄文人であり、続縄文時代、擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至ったとみなされている[要出典]。しかし、特に擦文文化消滅後、文献に近世アイヌと確実に同定できる集団が出現するまでの経過は、考古学的遺物、文献記録ともに乏しく、その詳細な過程については不明な点が多い。これまでアイヌの民族起源や和人との関連については考古学・比較解剖人類学・文化人類学・医学・言語学などからアプローチされ、地名に残るアイヌ語の痕跡、文化(イタコなど)、言語の遺産(マタギ言葉、東北方言にアイヌ語由来の言葉が多い)などから、祖先または文化の母胎となった集団が東北地方にも住んでいた可能性が高いと推定されてきた[要出典]。近年遺伝子 (DNA) 解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになってきて、さらに北海道の縄文人アムール川流域などの北アジア少数民族との関連が強く示唆されている[7][8][9]。擦文時代以降の民族形成については、オホーツク文化人(ニヴフと推定されている[9])の熊送りなどに代表される北方文化の影響と、渡島半島南部への和人の定着に伴う交易等の文物の影響が考えられている。

自然人類学から見たアイヌは、アイヌ大和民族も、縄文人を基盤として成立した集団で、共通の祖先を持つとされる。南方系の縄文人、北方系の弥生人という「二重構造説」で知られる埴原和郎は、アイヌも和人も縄文人を基盤として成立した集団で、共通の祖先を持つが、本土人は、在来の縄文人弥生時代に大陸から渡来した人々と混血することで成立した一方、アイヌは混血せず、縄文人がほとんどそのまま小進化をして成立しとされる[10]。アイヌは、大和民族に追われて本州から逃げ出した人々ではなく、縄文時代以来から北海道に住んでいた人々の子孫とされる[10]。

アイヌは古モンゴロイドに属し、周囲のモンゴロイドと大きく異なる形質を持っており、人種的にはアイノイド(Ainoid)と呼ばれる。和人など周囲のモンゴロイドと比較して、北海道アイヌは次のような特徴をもつ。

皮膚の色は、黄色みの乏しい明褐色
新生児の仙骨部の皮膚の色素斑(児斑)がまれ(11%)
体毛が比較的太く、長い
頭毛が波状を呈し、断面形が扁平
脳頭蓋の前後径が大きく、頭長幅示数が長頭に近い中頭型(76.6%)
顔高が低く、頬骨弓幅が広い
眉稜、鼻骨の隆起が強く、目はくぼみ、上瞼は二重瞼が多く、蒙古ひだが少ない(5%)
耳垂が発達し、癒着型は少なく、遊離型がほとんど(95%)
耳垢は湿型が非常に多い(87%)
歯の咬合型式は鉗子状が多い
身長は和人と比べると低く、体の比例は上肢長、下肢長が相対的に長く、胴の長さが比較的短い
手の指紋は渦状紋が比較的少なく蹄状紋が多い
以上に挙げた特徴は、北海道アイヌ樺太アイヌ、千島アイヌにもほぼ共通して認められるが、樺太アイヌは北海道アイヌに比べてやや顔高が大きく、千島アイヌはやや低身で短頭という傾向がある。

頭毛の形状、体毛の発達、瞼の形態、指紋型や湿型耳垢の頻度などでは、ネグロイドコーカソイド、オーストラロイドなどとの共通性が認められるが、様々な遺伝子の研究により、アイヌは遺伝的にこれらの人種とは隔たりが長く、東アジアのモンゴロイドと系統的に最も近いことがわかっている。アイヌモンゴロイドでありながら他人種に似たような形質的特徴を示すのは、アイヌが新モンゴロイドの固有派生形質を獲得していない、すなわち現生人類の祖先形質を残しているためである。形質的には古モンゴロイド(アイノイド)に属すとされ、また縄文人もアイノイドに属していたと考えられる。

これまでアイヌの起源論については考古学・比較解剖人類学・文化人類学・医学・言語学などからアプローチされてきたが、近年DNA解析が進み、遺伝的にはコーカソイドの影響は皆無であり、完全にモンゴロイドの系統に属することが判明した。

ただし、明治以来、アイヌは他のモンゴロイドに比べて、彫りが深い、体毛が濃い、四肢が発達しているなどの身体的特徴を根拠として、人種論的な観点からコーカソイドに近いという説が広く行き渡っていた時期があった。20世紀のアイヌ語研究者の代表とも言える金田一京助も、この説の影響を少なからず受けてアイヌ論を展開した。

近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球民族で、次いで大和民族であり、大和民族アイヌ人の共通性は約30%程である。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ琉球民族大和民族)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している[11]。アイヌ集団にはニヴフなど大和民族以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる[12]。

アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1bが87.5%(うちD1b*が13/16=81.25%、D1b1aが1/6=6.25%)と大半を占める。ハプログループD1bは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球民族で50%弱、大和民族で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。 他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[13]。

近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球民族で、次いで大和民族であり、大和民族アイヌ人の共通性は約30%程である。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ琉球民族大和民族)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している[11]。アイヌ集団にはニヴフなど大和民族以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる[12]。

アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1bが87.5%(うちD1b*が13/16=81.25%、D1b1aが1/6=6.25%)と大半を占める。ハプログループD1bは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球民族で50%弱、大和民族で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。 他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[13]。



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