Jekyll&&Hyde

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誰でも儲かるお金の話 番外編-なぜ、「理系」なのに「お金」のことを書くのか?-

 私は工学が専門で、物理や資源を研究しています。だから「お金」の話をすると「なぜ、理系の先生がお金の話をするのか?」と言われます。時には冷やかされたり、時には悪意に満ちた批判をされる時もあります。

 そこでなぜ、私が「お金」の話を書くのかという理由を簡単に書いておきたいと思います。

 かつて国には大蔵省という省がありました。明治以来、日本のお金を握っている・・・といっても、本当は庶民から徴収した税金を管理しているだけなのですが・・・ので、「俺は偉い」という気分になり、やりたい放題になりました。その結果、不祥事は起こるし、ついには「ノーパンしゃぶしゃぶ宴会」の接待を受けていたということが曝露され、解体されました。

 その大蔵省には「銀行局」と「証券局」がありました。建前としては銀行局が銀行行政を、証券局は証券行政を担当することになっていましたが、それは建前だけで、本当は「銀行局は銀行の利害を代表し、証券局は証券会社の利益を守る」ということに鎬(しのぎ)を削っていました。

 その一例が「役割分担」です。証券局があるので銀行が証券を扱うことは絶対に許されず、証券会社のお偉方は証券局と接近し、国際的にはまったく力の無いような株屋を演じ、とてつもなく高い手数料で儲けていたのです。

 どのぐらいの手数料だったか、細かいことは省略するとして、現在の約10倍でした。証券会社はお客さんが得をしようが損をしようが手数料だけで儲かる仕組みになっていて、営業も手数料も独占していたので、どんなにお客さんに迷惑をかけても関係が無かったのです。

 当時、四大証券と言われた野村、日興、山一、大和のうち、野村證券は大口の付き合いのある会社に、小口の庶民から集めたお金をつぎ込んで損失補填をしていました。日興も損失補填やら日興コーディアル証券事件を起こして社会的な避難を浴びています。山一の社長はテレビ会見で泣き、なんともみっともない姿をさらしたのです。

 銀行も例外ではありませんでした。長い間、独占に守られてお高くとまっていた銀行も再編され、まだ不十分ではありますが、少しずつ庶民側に寄ってきました。

 日本政府は国民主権なのですが、なぜ国民の為の政策を採らないのか?それには明治以来の深い日本の傷があるからです。そして手数料や業務独占ばかりではなく、あらゆる数字や表現をたくみに操って情報を操作し、未だに庶民からお金を巻き上げようとしています。

 その代表的な例が国債と年金です。国債を買い、年金を払った国民には預けたお金の3分の1しか返ってこない仕組みを作り上げているのです。でも情報が操作されているので国民はなかなか真実を知ることが出来ません。まずはそれが私がお金の本を書き始めた第一の理由です。

 第二の理由は、長く工学をやってきて「社会は自然とは違うのか?」という疑問が湧いてきたからです。私は15年ほど前から「自然に学ぶ、伝統に学ぶ」という活動を進めてきましたが、「自然」も「伝統」も、それまで私が対象としてきた「機械や材料」となんら違うことは無かったのです。

 それでは「人間社会」は自然と違うのか、「お金」は「自然」ではないのか?というのが次の私の疑問でした。幸い、私の研究室に社会的現象に興味のある学生が入り、社会を観測の対象として勉強を始めたのです。

 幸い、この分野には経済学・社会学・心理学というのが存在して手引きをしてくれました。それに工学系の手法を取り入れて整理をしてきたということです。そして、浮き上がってきたことは「事実とみんなが考えていることにずいぶん差がある」という驚きでした。

 自然科学はできるだけ真実を明らかにしてそれを発表するということが重要ですから、若干の間違いはありますが、ほぼ事実が表面に出ています。でも社会、特にお金は「みんなが自分が得をしよう」という下心があるので、事実が表面に出ていないのです。

 それが人間社会だ、だから面白いのだという考えもありますが、ここは一つ「自然科学と同じように遠慮無く事実を明らかにしてみよう」という気分になったのです。それと共に、これまでリサイクルなどを通じて「先生、それは言わないことです」と言われる経済学者の気持ちもわかってきました。

 「お金」については本も出版する予定ですが、特に「データ」についてホームページに書いていきたいと思っています。私の勉強を手伝ってくれた学生は今年の3月、大学院を卒業する予定です。

おわり