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Jekyll&&Hyde

昨日は晴れ、今日は朝。

人生の鱗 第二十一話

武田邦彦先生

 日照りが続き涙も流れなくなった目で雲のかけら一つないかと必死に捜しても、干天にシミ一つ無い。畑の作物は枯れ果て家では乳飲み子がもう幾ばくの命しかない。人間はそんな哀しい時代を長く送ってきた。

 目指してはならないもの  ”節約”

山紫水明、滔々と流れ来る清水と四季折々の気候・・・瑞穂の国、日本の農作は、それは恵まれていたものだったが、ひとたび干戈が響き渡り兵士に蹂躙されれば農夫は虐殺され、母娘は略奪された。

 天災・人災の狭間で生きてきた日本人にとっては「蓄え」こそが命だった。それがたとえ飢饉であっても大乱であっても蓄えさえあれば、なんとか家族と頑張っていけたのである。

 ひとつ、こんな例を考えてみたい。

 若い頃、何となく運にも恵まれずにずっと貧乏暮らしをしてきた。職に有り付けた時には何とか食べていくことだけはできたが、何かの拍子で職を失うと、それこそたちまち水を飲んで糊口(ここう)を凌ぐような生活になってしまうのだった。

 そんな彼でも時代が変わり還暦を迎えようとする時には、やること為すことみんな上手くいって巨万の富を築き、年ごとの収入も億を超えるようになった。齢(よわい)、喜寿。すでに毎日、酒池肉林の中にいても使い切れない。

 でも、彼は相変わらず蓄財をしようとしていた。かつてのあの苦しい時代を忘れることができないのである。

 今の日本人はその彼とそっくりだ。国民一人当たり一年に500万円を稼ぐ。自動車は世界一、テレビも世界一だから儲かって仕方がない。お金は余りにあまって、すでに「個人金融資産」と言われるものだけで1400兆円にもなった。

 それでもなお、節約しようとしている。
「なぜ?」
 少しでも電気を消すと省エネルギーになって環境に良いと聞いたから、「節約」は美徳と教えられたから・・・

 でも、使う物が多く、作る物が少ない時には「節約」は必要だが、作る物が使う物を上回ったらどうだろうか?毎年、毎年、日本では日本人が使う物をはるかに上回る量の物を作る。

 国内だけでは使い切れないので、輸出する。輸入もしているが輸出の方が断然多い。そんな状態だから日本国内にもお金が余る。輸出しても余るので外国のビルを買って顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

 日本の対外資産は世界一、そして貿易黒字(外貨)も世界一だ。政府には赤字はあるが、これは身内の赤字、つまりオヤジ(政府)が息子(国民)から借りているだけだから、特に問題は無い。

 それなのに節約する。節約したお金を国民は銀行に預けるが、国自体は貯金ができない。みんなが節約したお金は政府が使うだけである。つまり物が溢れる時代には「節約」は、「使う人を変える」という役割しか持たない。

 国民が我慢し、政府が使うお金が1400兆円なのである。国民一人当たりザッと1400万円だ。このお金は本来、国民のものなのに、国民が使わないから仕方なく政府が使う。実にバカらしい。

 環境という面でも同じだ。電気を消せば電気代が少なくなる。それを貯金するから政府が道路に使う。政府が使うぐらいなら自分が使ってもそれは同じなのである。

 銀行に預けたお金は、まず政府や企業が使い、それを下ろしたら自分がまた使う。2回も使うのだから環境には余計に悪い。

 「節約」しないことだ。それより「給料」を減らして「時間」を貰う方が良い。「時間」を貰っても環境を破壊しない。自分で汗を流して小さな野菜畑を耕し、薪で風呂を焚いて夕陽の中で風呂上がりを楽しむ。

 彼のように、喜寿になって使い切れないお金で沈没しているのが今の日本人だから。

おわり